Stobayashi Hideto-tafel-1

外林秀人先生に寄せる追悼と顕彰

外林秀人先生を偲ぶ会

Gedenkfeier zu Ehren von Prof.Dr.Sotobayashi Hideto
am Fritag,den 9,Martz 2012
Japanisch-Deutschs Zentrium Berlin

<2012年3月9日(金) ベルリン日独センター>

 

偲ぶ会(2012.03.09) Auf den Kinensiki


追悼演奏から・シューベルト作曲 「死と乙女」  研究所での外林先生の若き日と業績を語るキルヒナー博士  アストリド夫人と語り合う外山茂樹氏

外林秀人先生を偲ぶ会 プログラム
15:00 追悼演奏 細川トシオ  ヴァイオリン ソロ
15:10 開会の辞 フリードリッケ・ボッセ (ベルリン日独センター)  
15:20 追悼の辞 追悼の辞  ペーター・キルヒナー (フリッツ・ハーバー研究所)
 「外林秀人先生の業績と思い出」
追悼の辞  タケヤ・ムネヒサ (東洋グローバルサービス社
 「ベルリン日独センターを通じて外林秀人先生の日本産業会への貢献
15:50 追悼演奏 クラウス・シェーブ フルート ソロ
16:00 「外林秀人先生の核兵器廃絶運動」について
・カティーヤ・リーマン
・マルティン・ホルツハウゼン
16:20 追悼演奏 「死と乙女」 シューベルト作曲
16:30 閉会の辞


(左)研究所における若き日の外林秀人先生    (右)外林先生の講演活動の広がりから建立されたポツダムの「ヒロシマ広場

外林秀人先生お別れの Kinenshiki
お 別 れ の 言 葉
外 山 茂 樹 (名古屋大学名誉教授)
愛知県日進市梅森台2-105
〒470-0133/T&F:052-801-9136
stoyama@xj.commufa.jp
外林秀人先生。名古屋から参りました 外山秀樹です。お別れのけじめをつけなければという気持ちが抑えられず、こうして出席させていただきました。

私にとって忘れがたいことは、外林先生と共著にしていただき「ドイツの原子力物語」という本を書き上げたことです。外林先生から、Peter Auer著 「Von Dahrem nach Hiroshima」 という本を翻訳して日本で出版したいというお話を伺い、そこで私が興味を持っていた大正時代の日独交流や、外林先生の広島における被爆体験を書き込むことをお勧めし、アウアーの著書の内容を取捨選択してまとめました。

それは外林先生にとっては、被爆者であることを公言した最初でした。これを契機に外林先生のドイツを中心とした、ヨーロッパでの核廃絶を訴える講演活動は百回を超えられました。こうした活動に対する反響を「ドイツの原子力物語」を出版したアイ・ティーアイ(総合工学出版会)は、ホームページ(http://WWW.iti-cosmos.com/)に「外林秀人−ベルリン通信)として掲載し、日本にも伝えてきました。

「ドイツの原子力物語」に、そうした反響を書き加えて
改訂第2版を出すことになり、私は昨年(2011年9月)、Kiel で外林先生の講演会に参加して、そこで打ち合わせをそました。それからメール交換によって原稿が仕上がりました。最後の節には「命の限り講演活動を」と書かれていました。妹様で広島在住の仁田秀世様から訃報をいただいたのはその直後でした。

外林先生の心のこもった原稿は「ドイツの原子力物語」改訂第2版として今年の4月(2012年4月)に上梓されることになりました。そして出版社のホームページ「外林秀人−ベルリン通信」も引き続き掲載させていただくことをここに報告申し上げます。外林秀人先生のご冥福をお祈り申し上げます。

(2012.03.09 ) 外 山 茂 樹



外林秀人先生のご遺志によって刊行された「ドイツの原子力物語―幕開けから世紀をえて」改訂第2版

附録「平和への願いを込めて その2」の冒頭



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